不戦の城
姫路城は、その歴史において一度も戦に巻き込まれたことはなかった。このことは、
姫路城が現在も昔ながらの姿をとどめている一因ともなっています。
しかし、歴史を紐解いてみると、たった一度だけ攻撃を受けたという記録が残って
います。慶応四年(1868)、この年は封建制度の終焉を迎え、新たなる時代の幕明け
となる年であった。永らく続いた徳川政権は、新しい潮流に飲み込まれようとして
いた。徳川幕府最後の将軍慶喜は、最後の抵抗とも言える鳥羽・伏見の戦いで敗北
を喫し、朝敵として追討されることになる。時の姫路藩主酒井忠惇(ただとう)は
老中という幕閣の要職に就いていた関係上、慶喜と行動を共にしていたため、姫路
藩も追討をうけることとなった。新政府は岡山藩(池田茂政)に姫路藩を討つこと
を命じた。岡山藩は討伐の命が下ったことを姫路藩に伝えると、主なき姫路城内で
は急遽会議が開かれ、城を明け渡すことを決定した。しかし、強硬派の長州藩は
『やり方がなまぬるい、力づくで屈服させるべきだ』と横やりを入れる。そこで、
岡山藩は改めて姫路城を砲撃することにした。砲撃は実弾と空砲取り混ぜて4〜5発
程度、そのうちの一発が城南西の福中門を直撃した。池田輝政の子孫である池田茂
政が姫路城を攻撃した最初で最後の人となったのは運命のいたずらと言えるだろう。
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