8. 城郭保存の動き
幕末そして明治維新の動乱によって顧みられることがなくなり、風前の灯火であった全
国の城郭を保存しようという動きが起りました。文部大丞町田久成と宮内少丞世古延世
の二人が明治五年六月七日、大隈重信に「歴史に関わりのある有名な城は保存して然る
べき」と建議しています。建議書には具体例として名古屋城を挙げており、姫路城のこ
とについては書かれていませんでしたが、一週間後には、太政官から陸軍省に城を取り
壊す時には『伺ヲ経テ可致処置事』という通達が出されています。しかし、その当時、
出来たばかりの陸軍省は大忙しで、とても城の保存にまで考えが及ばず、『姫路城天守
修繕之義ニ付伺』が出されたのは、明治十年十一月二十八日でありました。その内容は
「姫路城はすでに本来の機能を失っているが、古来有名な城であり、天守の屋根や壁が
所々壊れているのは城の体裁に関するのみならず、今のうちに修理しておかなければ風
雨にさらされてそのうちに大破するのは目に見えている。そこで、応急修理をしたいの
で381円60銭を本年度予算の修繕費から支出することを許可願いたい。」この件は、同
年十二月十三日に認可されています。
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