| 7. 明治維新後の姫路城 |
| 明治維新(1868)、長く続いた徳川政権に終止符が打たれました。明治二年の版籍奉還、 |
| 同四年の廃藩置県で全国の城郭の存在価値もなくなり、あるものは地方行政の間に合わ |
| せの庁舎として利用されたり、またあるものは学校教育の場に利用されたりしました。 |
| 姫路城も飾磨県庁舎として使われていましたが、廃藩置県の後、大阪鎭台歩兵第十連隊 |
| が三の丸に駐屯することとなり、城内にあった武家屋敷や櫓などが取り壊されてしまい |
| ました。その代わりに兵舎や倉庫が立ち並ぶ軍事施設に変貌していくことになります。 |
| 当時、新政府にとって最大の関心事は軍制確立であり、それに全精力を傾けて行く最中 |
| であった為、嘉永四年(1851)以来、目立った修理の手が入っていない姫路城は傷みが |
| ひどく放置されたままで、大天守付近へは立ち入りが禁止されていました。要するに、 |
| 陸軍にとって必要なものは、兵舎などを建設する広い場所であり、無用の長物と成り果 |
| てた崩れかけの城など保存修理する必要も財政的な余裕もなかったのです。 |
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