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”貞範築城の年代については、古城記、古城軍録、城主之次第、
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赤松則房雑談聞書、古所跡略説、事跡拾集記、事始経歴考、姫
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路府志、姫路領秘書、村翁夜話集などいづれも単に「貞和の頃」
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とか「貞和年中」と記し、その年号を明記してないが、交替連綿
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之記、戦国実記撰、府中めぐり等によれば貞和二年のことで、播
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磨鑑にも古城址及姫路城主の條には年号を記してないが、正明寺
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の條には「貞和二年赤松貞範此山に城廓を建て云々」と見える。
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今正明寺境内にある供養塔はもと姫山の称名寺境内にあったのを
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江戸時代に至り本城内に移し、上部に穴を穿って手水鉢となし、
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これを愛玩した。廃藩後有志たちその正明寺に所縁のある石塔な
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るを知り、同寺に移したもので、上部の穴はセメントで填めて
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ある。正面の銘を見るに「右造立供養為者有縁無縁法界衆平等利
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益故也、貞和二年歳次丙戌五月九日、一結衆敬白」と刻んである。
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貞和二年は即ち貞範の城を築いた年で、これ実にその時の供養
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塔である。貞範は城を築くに方り、称名寺並に墓碑を移したので、
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そのためにこの塔を建て、供養を行ったものであろう。即ちこの
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供養塔こそ貞和二年の築城を証明する唯一の遺物であって、いわ
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ば築城の記念碑ともいうべき貴重なものである。而してその貞和
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二年五月九日とあるによれば、築城工事も蓋しこの頃から着手し
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たものであろう。”
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