7. 安積氏と小河氏
では、姫道村に所領を持っていたことが確実なのは誰であっ
たのでしょうか?史料からわかるのは安積氏と小河氏です。
安積氏は宍粟郡安積保(しそうごうりあずみのほ)から起こ
った土豪武士で、元弘の乱では足利尊氏に属し、赤松氏とは
別の勢力を持っていました。
播磨地方における赤松氏の支配力が確立した義則の時にその
支配下に置かれました。貞和四年(1348)の時点ではまだ赤
松氏とは別個の勢力を持っていたようです。文和二年(1353)
十月安積盛兼は赤松貞範に属して美作の英多(あいだ)城を
攻めています。おそらくこの時までに徐々に赤松氏の支配下
に置かれていったのでしょう。
もう一人の小河氏とはどういう人物だったのか。
姫道村には約三町の称名寺免田がありました(正明寺文書よ
り)。称名寺の大部分の寺領は小河氏の寄進によるものでし
た。小河氏も安積氏と同じように徐々に赤松氏の支配下に置
れていくことになります。その年代は明らかではありません
が、「正明寺文書」によれば少なくとも文和二年(1353)十
月にはまだ守護赤松則祐には属しておらず、貞範が貞和年間
に小河氏の本拠地内の姫道山に城を築くことはありえなかっ
たと言える。また、小河氏は姫道山に城を構えたことはなか
ったらしい。(石田氏の説より要約)
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