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11. 明治四十三年の大修理
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明治四十二年十月三日付の大阪時事新報にこんな記事が載っています。題して「白鷺城
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の頽廃」。『日本の名城たる幡州白鷺城天守閣は甚しく腐朽し、修復せずんば到底保存
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し難き運命に接するも....』中村大佐の尽力によってとりあえず応急修理が施され
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た姫路城ではありましたが、歳月の流れとともに荒廃は進み、新聞にも大々的に報道さ
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れる程でした。いま一度、記事を読んでみることにしましょう。「城の修理には十数万
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円が必要であった。姫路市其他各地の有志は、城の保存を衆議院に請願した結果、原案
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可決されたが、予算がおりず修理にとりかかれなかった。有志たちは、白鷺城期成同盟
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会を組織し、再度内務大臣に請願すると共に寄付金集めに努めている。」翌年には有志
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の活動が効を奏し国費九万三千円が支出され、この年の七月から本丸天守の修理にとり
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かかり、一年を費やして、明治四十四年七月に工事は完了しました。もし、予算が十分
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あったなら、城の傾きを修正しようという声もあったのですが、九万三千円の修理費で
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はそこまで出来ませんでした。この時の修理内容は、傾きが増すのを止めるために各階
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の壁面に斜材を入れて、ボルトで締め付け、天守閣の軸部を固定する方法がとられまし
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た。この後、45年経った昭和31年に始まった「昭和の大修理」までの間、倒壊を免れ
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ることが出来たのは、「明治の大修理」に負うところが大きいと言えるでしょう。
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