4. 傾いた天守
昭和の解体修理で判ったことですが、心柱の根元に置かれていた礎石の大きさは方
1.5mで花崗岩で出来ていました。この礎石のある地盤の地耐力は1平方メートル当
り約25tとの測定結果が出ています。つまり、ひとつの礎石が受け止められる最大
荷重は約56tなのに、実際には約100tの荷重がかかっていたということです。
この事実は、礎石下の地盤の沈下を招く結果をもたらしていました。しかも、大天
守の石垣は硬い岩盤の上に築かれていたのに対し、大天守の地階(石垣に囲まれて
いる)は岩盤の上に盛土された約4mの土層に建っていたため、石垣は沈まなかった
が礎石は沈下するという、いわゆる不同沈下を起したことが単に傾くだけでなく捻
れをも併せ持つという複雑な現象となって現われていました。
昭和の解体修理の前の姫路城は著しく東南方へ傾いていました。この傾きが修理の
大きな要因ともなったのです。
『東に傾く姫路の城は 花のお江戸が恋しいか』という江戸時代後半の俗謡が残
っています。先に述べたように、姫路城は築城された当時から過大な荷重によって
天守が傾く運命にあったと言えるでしょう。
前頁 次頁 INDEX