10. B29発進--マリアナからの対日爆撃
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米国戦略爆撃調査団報告書(United States Strategic Bombing Survey)No.66「B29
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部隊の対日戦略爆撃作戦」によれば、マリアナに司令部を置く第21爆撃機集団の活動を二
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つの段階に区分している。まず、第一段階として1944年11月24日から1945年3月9日ま
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で、第二段階として1945年3月9日から1945年8月15日までをそれぞれ一区切りにしてい
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る。
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マリアナ基地からの日本本土爆撃は、1944年11月24日、第73航空団によって初めて決
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行された。
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イスレー飛行場を発進した111機のB29が目指したのは東京にある中島飛行機武蔵製作
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所である。この攻撃は目標上空の雲によって出撃したうちの24機が目視爆撃に成功したに
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過ぎず、他に59機が東京の都市工業地帯をレーダー爆撃した。戦術的に見ると、この攻撃
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は決して成功したとは言えなかった。
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B29による日本本土爆撃は、まだまだ始まったばかりであった。日本都市の火災に対す
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る脆弱性は判っていたが、B29の攻撃が予測通りの戦果をもたらすかどうかは実際に実行
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してみなければ判らないことだった。
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第一段階でのB29による攻撃形態は、日本の航空機産業を主要な爆撃目標とする高々度
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(7,600m〜10,000m)昼間精密爆撃であった。だが、日本上空には雲がかかっているこ
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とが多く、目視爆撃が出来る機会は希だった。いきおい、レーダー爆撃が実施されたが、
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その結果は、精密どころか無差別爆撃同然に終わることも少なくなかった。
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1945年1月27日の東京市街地への白昼爆撃は、本当は、中島飛行機武蔵製作所がターゲ
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ットとされていたものの、雲による視界不良のため、急遽レーダー爆撃に切り替えられた
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結果であった。
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中島飛行機武蔵製作所は、この前後、計8回もの空襲を受けたが、施設の重要性もさるこ
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とながら、精密爆撃の精度の悪さが一因であったとも言えるだろう。
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アメリカがジェット気流の存在に気付いたのは第一段階の初期の頃であった。
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この強烈な偏西風は爆撃精度に大きな影響を与えた。また、高々度を飛行するB29の機
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体に着氷し視界を遮ることもしばしば起こった。B29の最大の敵は気象条件であったと言
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えよう。
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精密爆撃では編隊を組んで飛行したが、このことは各々のB29に負担を強いることにな
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った。編隊を維持するためには常にエンジン出力を調整していなければならなかったから
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である。それに、空気の薄い高々度を飛行するにはたくさんの燃料を消費した。燃料切れ
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を防ぐためには、爆弾搭載量を削ってまでも多量のガソリンを抱えて飛行した。時には、
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目標に到達する前に基地へ引き返したり、たとえ日本本土までたどり着いても第一目標以
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外に投弾せざるを得ない事態がたびたび起こった。
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第一段階に於ける日本側の迎撃は、強烈かつ積極的であった。高々度を飛行することは、
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必ずしも日本側の攻撃を防ぐことにはならなかった。
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日本の熟練パイロット達は、広大な地域に展開した海外の占領地および前線に於ける攻
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防戦で既にその大半は失われ、本土防衛の任に当たったのは比較的経験の浅いパイロット
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達であった。彼らはB29に対して単独で立ち向かっていった。中には、1回の爆撃行に対し
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て200〜300機の日本戦闘機が延べ500回にのぼる攻撃を加えてくることもあった。彼ら
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の多くは巨大なB29を撃墜するために機首を狙い撃ちする戦法をとったが、他に有効な手
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段を見いだすことなく次々にB29の餌食となっていった。1945年1月をピークに日本の航
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空兵力は急速に力を失っていく。
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