天文十六年、信秀が再び三河を攻めたので、広忠は再度義元に援軍を要
請。義元は交換条件として人質を差し出すことを要求した。その人質に
は家康(幼名竹千代)が選ばれ、義元のもとへ送られることになった。
しかし、真喜姫の父康光が途中で裏切り、信秀の側につき、信秀は家康
を尾張名古屋万松寺に閉じ込めた。そして、広忠に誘いをかけたが広忠
は応じなかった。この時、家康は6歳であった。
天文十八年、信秀が没しその跡を信長が継ぐ。義元は織田の勢力を三河
から掃討しようと、信秀の庶子信広の安祥城を攻めて、信広を捕え家康
と交換した。家康は最初の約束通り義元の質となり駿府城へ連れられた。
前頁 次頁 人物索引