千姫の父秀忠は、元和九年(1623)、千姫の弟家光に将軍職を譲っていた。
秀忠は、寛永八年(1631)に入ると春から体調が優れず、七月に紅葉山東
照宮から帰ってきてから病床に臥した。
姫路の忠政は、秀忠の病の知らせを聞くと、急いで姫路を出発し江戸へ向
かった。この旅の行程はかなりきつかったらしく、忠政は、江戸に着いて
からしばし休息をとるため本多家の江戸屋敷で入浴中、にわかに吐血して
急死した。
秀忠の病状は日増しに悪化し、寛永九年一月十六日から秀忠との面会は禁
じられ、家光を始め徳川御三家は常に秀忠の枕元に居た。二十三日になる
と秀忠は危篤状態に陥り、二十四日ついに息を引き取った。家康とちがい
秀忠は千姫に対して厳しかったが、父の最期を看取ることが出来たのは千
姫にとってわずかな救いであった。
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