秀吉と家康は天正十二年に尾張の長久手および小牧で戦っている。
戦は家康の勝利に終わった。その後、双方とも軍勢を引き講和した。
この時、家康は第2子於義丸を秀吉の養子とし、秀吉の一字をとって秀
康といった。この時秀康11歳。
天正十三年七月、秀吉は関白となったが、家康は、岡崎を一歩も動かず
使者さえも送らなかった。秀吉は、家康を敵に回すことを恐れていた。
このためなんとか家康を味方につけようと妹の朝日を家康に嫁がせるこ
とにした。すでに正室築山殿は亡くなっており、家康は、あえて拒まず
朝日を正室として迎えた。
だが、家康は、いまだ秀吉を信用せず秀吉の上洛の誘いにも応じなかっ
た。仕方なく、秀吉は、自らの母大政所(おおまんどころ)を人質とし
て岡崎に送ることにした。これでやっと家康は上洛することを決心し、
聚楽第(じゅらくだい)に於いて秀吉に謁見した。
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