秀頼が生まれる。すなわち、千姫と秀頼とはいとこ同志の間柄である。
千姫の母於江与は浅井長政の三女である。長政の妻はお市(織田信長の妹)
である。長女茶々は秀吉の側室となり、淀城に居たので淀君、あるいは淀
の局(つぼね)と呼ばれた。文禄二年(1593)八月三日、秀吉と淀君の間に
慶長八年(1603)七月二十八日、家康得意の婚姻政策により千姫は秀頼のも
とへ嫁いで行く。この時、千姫7歳、秀頼11歳であった。
家康はこの年の二月十二日に征夷大将軍となり、江戸城内に幕府を開く。
千姫の大坂城入輿(にゅうよ)は豊臣家懐柔政策であることは明らかであ
るが、それでは何時婚約が成立したのだろうか?
橋本政次氏によると、秀吉存命中の慶長三年七月のことだったという。
この根拠として浅野家文書の中の『太閤様御覚書』 を挙げられています。
この覚書は秀吉の遺言を浅野長政が書き留めたものである。
もし、この説が正しければ、千姫が2歳の時に婚約が成立したことになる。
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