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12. 一からの出直し
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昭和34年4月初旬に大天守の組み立てが始まりました。肝心かなめの心柱用材はまだ見
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つかっていませんでした。かといっていつまでも待つこともできず、いわば見切り発車
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で、現場では日毎に焦りが募っていきました。昭和33年10月からの二度目の心柱探し
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では調査範囲を拡げて四国一円、山陰地方、和歌山、静岡にまで足を延ばしました。
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江戸城築城の際、富士山麓の木を切り出した記録に基づいて富士山にも探しに行きまし
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た。栂材ならあるのですが檜材はどこにもなかったのです。
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万事休す。
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万策尽き、最後の望みを託して木曽へ行きました。岐阜県恵那郡付知(つけじ)町の営林署
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用度課で国有林の台帳を調べてもらうように依頼しました。昭和34年3月のことでした。
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ところが返事ははかばかしくない。3月の木曽はまだ雪が積もっていて分け入ることもで
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きない状態で、雪解けを待って探すより仕方ありませんでした。営林署から山奥に18km
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入った標高1,200mの木曽谷国有林「98区」の傾斜度40度という急斜面にとうとう目指す
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檜材を発見しました。が、安心したのも束の間。さらなる試練が待ち構えているとはまだ
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誰も知る由もありませんでした。
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