| 6. 姫路城が消えた日 |
| 部材が大きくなればなるほど細心な作業が要求されました。どの部材から抜いていくか、 |
| 手順をまちがえると大変なことになります。慎重に検討が繰り返されました。姫路城の |
| 修理のために全国から大工、とび職人らが集まっていた。その人数およそ百人。3階か |
| ら下の解体は作業員総出で行われました。抜く梁が決まるとそれと組まれた柱とその柱 |
| の周囲の数本の柱を外に開くように注意深く引っぱる。そうすれば梁の継ぎ手の部分が |
| 少し緩む。それから梁を四方からロープで固定する。これからは機械力を使ってウイン |
| チを動かし、梁にくくりつけたワイヤーロープを巻上げ徐々に梁を引き抜く。一旦動き |
| 出した梁はその重さ故に人の力を無力にしてしまいます。バランスを崩さないように最 |
| 大の注意を払う。このような作業の連続で全く気の休まる時はなかった。一日に二本を |
| はずすのが精一杯という日が続きました。 |
| この困難な作業は、昭和33年1月31日に終わりを告げました。残されたのは側回り土台 |
| と東の心柱のみとなり、大天守は完全に姿を消しました。この解体作業に従事した延べ |
| 人数は38,500人でした。 |
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