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5. 姫路城の修理
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城の解体修理時には色々なことが発見されています。解体された部材からは墨書が
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あるものも見つかっています。墨書とは、建物を建てたり修理をした時にその記録
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として年号や携わった人の名前などを記すことです。
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墨書から判ったことは、輝政の築城からそんなに時が経っていない時期から度々修
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理が行われているということです。少なくとも柱や梁などの補強が19回、屋根の補
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修が17回あったことが今に伝えられています。繰り返された修理の中でも、明暦二
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年(1656)、元禄五年(1692)、元禄十三年(1700)、寛保三年(1743)、明治四十三
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年(1910)に行われた修理は特に大がかりであったといいます。比較的小規模な修理
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はおよそ20〜30年の間隔で、大規模なものは大体50年の間隔で行われていました。
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明暦二年には、二本の心柱(もみ材)の根元が腐っていたのでその部分をくりぬいて
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つが材をはめ込み、帯鉄で巻いて鋲釘で止め添え柱を建てて補強しています。
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この原因は、心柱の乾燥状態が十分でないまま組み立てられたため木材内部の水分が
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徐々に根元近くまで降りてきて溜まり木心部がむれ腐りを生じ、加えて100tもの荷
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重による座屈が起ったものであると思われます。しかし、この修理によって却って不
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同沈下を助長する結果となったのは皮肉なことでした。
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